2021-04-06 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第8号
九・一一、航空機が世界貿易センタービルに突っ込み、多数の死傷者を出したテロ事件は、人々の記憶から忘れ去られることはないと思います。また、我が国でも、地下鉄サリン事件という忌まわしいテロ事件により多くの人命が失われたことも、決して忘れることはできません。
九・一一、航空機が世界貿易センタービルに突っ込み、多数の死傷者を出したテロ事件は、人々の記憶から忘れ去られることはないと思います。また、我が国でも、地下鉄サリン事件という忌まわしいテロ事件により多くの人命が失われたことも、決して忘れることはできません。
航空機によるテロあるいはさまざまなテロ対策、それをしっかりしろということでありまして、これは、例えば九・一一ですか、ニューヨークの旅客機による貿易センタービルに突撃をした、追突をした、ああいうことも含めて、そういうことによっても原発が影響を受けないようにしなさい、そういうことのようです。これは大変なことだと思うんですね。
二機、貿易センタービルに突っ込み、一機がペンタゴンに激突をした。四機目は一体何を狙ったのか。ホワイトハウスだったかもしれませんけれども、ひょっとすると原発だったかもしれない。こういう危機感の中でNRCはすぐ動いて、原発、航空機テロがあっても放射性物質を飛散させないような対策をとりなさいと。
かつて世界貿易センタービルの金融機関で働いていた同級生たちが、両手で顔を覆って、わあっと悲鳴を上げました。職員が献血を呼びかけて走り回っていました。学校の図書館から一歩も出ないように言われ、電話回線がつながらず、インターネットで家族に安否を連絡しました。翌日から平常どおり学校が再開しましたけれども、テロはその日で終わったわけではありませんでした。
カリモフ大統領から、これはもう申し上げていいことと思いますけれども、日本からの経済支援、各種の援助に対して深く感謝している、今、日本に経済的な面でお返しをすることができない、しかし、我々は国際テロについて世界で最も正確な情報を持っている、アメリカでのあのセンタービルについても予見していらっしゃいました、ついては、日本の情報組織と直接接触することができるであろうか、お話がそっとありました。
○中山恭子君 二〇〇一年のあのニューヨークのセンタービルのテロの後、アメリカから主要な政府の方々がウズベキスタンを訪れてカリモフ大統領と接触しておりました。
私の経験でも、二〇〇一年の九月十一日のときに、自宅に帰って二機目が世界貿易センタービルに突入したときに、我が国の東京も攻撃されているのかなと思って東京に戻ってきたんです。でも、翌日の議員会館は結構のんびりとしていました。ごく普通に皆さんが生活をしている我が国です。
○国務大臣(中谷元君) これから突発的に何が起こるのか、それは予見できないケースがありますが、例えば九・一一のテロ、これは瞬時にしてニューヨークの貿易センタービルで三千名以上の一般市民が犠牲になるわけでございますし、非常にこういった事態におきまして、我が国の安全また存立にも関わりあるようなケース、こういうことが突発的に発生し得るというようなことも念頭に置かなければならないのではないかということでございます
それで、あの二〇〇一年のアルカイダの貿易センタービルなんか、みんなが見ておった前で、テロの問題とかあるんですけれども、アメリカの領土とか本土とかに爆弾を落としたのは日本の国の真珠湾攻撃と今の九・一一だけでしょう。アメリカというのはもう、一回ロケット飛んできたら百発も返ってきますよ。アメリカに弾を撃つ人なんかいないですよ、今。それを、一々こじつけて物しようという。
このテロというのは、ニューヨークの貿易センタービルで三千人近くの方が犠牲になりました。日本人も数十名犠牲になりました。やはりこういったテロ行為に対して、当時国連で、これは国際平和の安全に対する脅威であると認め、国際社会に対してテロ行為を防止し抑止するための一層の努力を求めた安保理決議の一三六八、これがございました。
二〇〇一年にアメリカ・ニューヨーク貿易センタービルが攻撃されました。九・一一、いわゆるセプテンバーイレブン、あれは実はイスラム教過激派からの宣戦布告であったというふうに僕は捉えております。なぜ私がこういうことを申し上げるかというと、私は、テヘランのイラン特派員で一年半おりまして、イラン・イラク戦争を取材しております。
アフガン戦争のきっかけは、ニューヨーク貿易センタービルに対する航空機による攻撃。あそこでは日本人も二十四名亡くなっています。そして、イラク戦争は、大量破壊兵器の所持疑惑、そして国際社会から要請した査察に応じないという事態であります。湾岸戦争は、クウェートに対するイラクの侵攻。
このときには、我が国の国民も、世界貿易センタービルの中に閉じ込められて亡くなっております。こういったような事例というのは、九・一一の場合は新三要件に当たるのかどうか。
あのセンタービルのテロのようなことでもあればまとまる可能性もあるのかもしれませんが、現在の日本でそれぞれの省庁の情報を集約していくということは非常に難しい。
二〇〇一年のアメリカ・ワールド・トレード・センタービルのテロの後には、オルブライト国務長官、さらにパウエル国務長官なども中央アジアに来て、アフガニスタン情報についていろいろと動いていたという経緯がございます。 質問通告しておりませんが、総理、是非こういった中央アジアの国々をできるだけ早い段階でお訪ねいただけたらと思います。
多分、テロ等も入ってくるかとは思うんですけれども、二〇〇一年九月十一日のニューヨークの貿易センタービルのテロ事件があったときのことを思い出しておりまして、九月十一日、埼玉県の自宅に帰ってテレビを見ると、一機目がまずビルに激突をして、二機目が激突をしたときに、これは世界じゅうでこのテロは起きているのかなと直感したものですから、夜、国会、議員宿舎まで戻ってきまして、東京も何があるかわからないので、一応東京
国際テロリストの問題で思い浮かぶのは、今から七年余り前ですか、平成十三年の九月十一日に、アメリカ合衆国のニューヨーク、ワシントンほかで実行されたイスラム原理主義者によるテロ事件がありまして、この世のものとも思えないような光景が展開された、世界貿易センタービルが、北棟、南棟ともに、ハイジャックされた航空機の激突で爆発、炎上したということでございます。日本人も二十数名犠牲になっております。
あのワールド・トレード・センタービルが壊れていくさまを見たときに本当にショックを受けたわけでありますけれども、だからこそ、今、国連で決議がなされ、そして、それに基づいて国際世論としてテロとの闘いに各国が一斉に立ち上がっているわけで、日本としてもそういう流れの中で今回の補給支援活動、こういうことになっています。
ここには、世界貿易センタービルの中に二十社の日系企業が存在して、三百五十人の日本人が働いていました。二十四人、うち、遺体が確認されたのが十三人、これが死亡した。彼らは、アルカイダは、日本人がそこにいるということを知って、働いているということを知って突っ込んだ、完全な殺りく行為です。
私は、二〇〇一年八月二十七、二十八日にニューヨークにおりまして、そのとき貿易センタービルはありましたが、その後、ブラジルに飛びました。帰りの航空券は、二〇〇一年九月十三日にニューヨークに戻るという予定の切符だったんですけれども、あの事件が起こりましたので、飛行機も飛ばず、しばらくブラジルに滞在しました。
いや、大変なことになったなと思っておったら、しばらくすると二機目の大型の旅客機が、もう一棟の方のワールド・トレード・センタービル、二棟あるうちのもう一棟の方へ突っ込みました。そして、しばらく見ていると、二棟ともに上から崩壊をしていきました。